100時間のヴィパッサナー瞑想を終えて

3月28日〜4月8日までの間、一日10時間×10日間の瞑想を行ってまいりました。誰とも会話せず、目も合わさず、もちろん電子機器や書物などから離れ、全てを遮断した状態でひたすら自己と向き合う100時間。
100時間がこんなにも素晴らしい体験になるとは!!この心の変化が消え去ってしまう前に、そこで感じた体験、そこから得たものを記録しておこうと思います。

初めての感覚!!10日間の瞑想体験でカラダと心に起こった大きな変化

さぁ、いよいよ始まった!と意気込んで座ったものの、最初の2日間はただただ眠気に襲われていて、全く集中できずにいた。気づいたら眠りに落ち、取り留めのない夢を観ながら覚醒している状態。。。せっかく瞑想しに来たのに、なんで寝ちゃうんだろう・・・そうだ!眠気を冷ますために息を止めてみよう!

そして、息を止めた瞬間に大きな波がやってきた。

緑の光に包まれた自分が、上に昇りながら宇宙に広がっていく感覚。そして、どんどん拡大していく・・・と思ったら急に収縮し始め、暗く重たい闇の世界に閉ざされていった。

なんかすごい体験が始まった!これが2日目に起きた初めの変化。

次の日、またあの体験がしたいとワクワクしながら瞑想を始めたものの、もう二度と現れてこないあの感覚。その代わり、身体が円を描くように心地よく回り出した。地球の自転と一体化した感じ。瞑想で遊び始めてしまった・・・

4日目からはいよいよヴィパッサナー瞑想へ。呼吸に意識を向けるアーナパーナ瞑想とは違い、頭の上から足の先まで、全身の感覚を観察していく。この頃から眠気もおさまり始め、代わりに過去の出来事が頭に浮かんでくるようになった。

それでも宇宙と繋がりたい欲が消えず、意識を頭の先の上まで持っていっていたとき、光の束が更に上まで伸びていき、急に何かを呼び込んだ!身体中に何かがまとわりついてきて、お腹の中に入って眠ってしまった。

うわぁ、何これ!

何かが居着いちゃった・・・とドキドキしながら瞑想後の講話を聞いていたら、1時間くらい経った後、ふとした瞬間に身体から出て行った。

そんな不思議な体験をした翌日。その日は身体がやたらと重くて、重力に引っ張られている感覚。その感覚を観察しているうちに、自分の身体がどんどん小さくなっていった。大人だった自分から子供の頃の自分、そして最後は石ころくらいの大きさへ。その変化に合わせるように、記憶も逆戻りし始めた。小さい頃の記憶がふと浮かんでは消えていく。

気付くと涙が止まらなくなっていた。何度も何度も号泣した。そして、過去のトラウマや心に引っかかっていたものが手放されたからか、瞑想後はとってもスッキリしていた。

瞑想を始めてから6日目。足の痛みも限界に達して苦しんでいたときに、ふと全身の感覚が無くなり、足の痛みを感じなくなっていることに気付いた。そして、身体の他の部分も全く感覚が無い・・・ちょっと動揺しながらも瞑想を続けている内にまた感覚が蘇ってきた。それ以降、身体の内側も少しづつ感じられるようになっていった。

瞑想合宿8日目。過去の記憶も浮かんでこなくなり、集中しながら身体の感覚を観察していると、初めて身体から凝固物が全てなくなり、空気と完全に同化した感覚を覚えた。

身体の中を心地よい風が吹き抜けていく。固体だったはずの自分の身体が気体になったのか、素粒子に分解されたのか・・・風に吹かれてどこかに飛んでいってしまいそうだった。

そのまま瞑想を続けていると、今度はその素粒子の集まりが浮いてきて、地面から魂が離れていく感覚。あれっ、これって誰だっけ?私だよね?自分が自分でないようで、なんだか動揺してしまった。

瞑想合宿も残り2日。今度はどんな体験が待っているんだろうかと少し期待して座り始めると、身体にはまた凝固物が生まれていた。まだまだ欲まみれな自分。おやつのバナナもつい美味しそうな大きめのものを選んでしまう自分。そう簡単に全ての欲は消えないよなぁと思いつつ、9日目も空っぽの感覚を感じながら、安らかな気持ちで終えることができた。

そして、最終日。この日は沈黙の掟が解かれ、おしゃべりが解禁に。でも・・・まだ話をしたくない、もう少し瞑想に浸っていたい気分。夕方になって、少しおしゃべりをしてみたものの、頭がフワフワして上手く喋れない。そもそも、ずっと耳栓をしていたせいか、声が曇って聞き取れない。もうちょっとリバビリが必要みたい、と思いながら夜の瞑想に入ったときに感じた大きな変化。

頭にドロドロとした凝固物が溜まっていて、頭の上や身体を下って手足の先から外へと排出させていくものの、消えたと思うとまた頭にドロドロが生まれてくる。この作業を何度も繰り返し、やっと凝固物が消えて無の状態が戻ってきた。

たった10日間でも、瞑想を続ければ感覚が研ぎ澄まされ、無の状態になれる。だけど、人と接したり読み書きをすることで、すぐに凝固物が溜まってしまう。だから、瞑想をしてそれらを取り除くことが必要なんだ。そうすれば、いつも感覚を研ぎ澄ませ、集中力を高く保った状態でいられる。温かい愛に満ちた、平和な心でいられる。

これが、今回の瞑想を通じて私が得たこと。これからは、毎日の瞑想を欠かさずに習慣化しようと心に誓った。

ヴィパッサナー瞑想で得たもの

(1)欲望や苦しみ、雑念からの解放

初めは気付くと妄想か眠気にとらわれ、瞑想にすら集中できない状態だったけど、日を追うごとに集中力が増し、雑念が取り払われていった。
そして、感じる力が強まり潜在意識へと入り始めた頃から、心の奥に眠っていた過去の経験のワンシーンがフラッシュバックするように出現し、そして手離されてい­くようになった。祖父の納骨に行かなかったことへの罪悪感、自分の感性に対する劣等感、人に愛されたいがゆえにいつもニコニコしている自分の心のくせ。それらに気付き、すっと腑に落ちたときに、心が軽くなり、自然と欲望や苦しみが消えていった。
そして、今の私が怒りという感情をあまり持つことなく安らかな気持ちで過ごせているのは、怒ることなく、いつもやさしいまなざしで見守ってくれている父親の存在があったからだと、あらためて気付けたことがうれしかった。

(2)感じる力と幸福感

10日間の瞑想が終わり感じた変化は、目に見えるもの、肌で感じるもの、漂っている香りなどを感じる力の大きな変化。世界はキラキラに満ちあふれ、子供の頃に好奇心いっぱいでワクワクしていた感じが蘇ってきた。関わる人たちの心の温もり、自然の美しさ、噛みしめた野菜の味­わい深さ・・・それら全てが愛おしくて、「あぁ、生かされているんだ。幸せだなぁ。」って­いう想いで満たされていた。

(3)”自分”というこだわりからの解放

瞑想中に何度か、身体が溶けてなくなり、ただ、意識だけが存在するという感覚を経験した。”私”と呼ばれている存在がそこに浮いていて、その中を心地良い風が通り­抜けていく感覚。そのときふと、自分だと思っていたものって何なんだろうって思いが頭によぎった。
私の価値観、私の信念、私の大切なもの、私という存在・・・それら全ては確かなものではなく、やがて消えていくもの、移り変わっていくもの。だから、自分が作り出した自分という型枠にしばられずに、今ここで起こることを楽しみ、瞬間瞬間で変わっていく自分自身を観察しながら噛みしめていこうと思った。

これからの社会になぜ瞑想は必要なのか?

(1)「所有」から「共存」へ、価値基準の変化

お金を稼ぎ、贅沢な暮らしを手に入れたい、立派な家や車を所有したい・・・「所有欲」はどんどん大きくなっていき、それと同時に虚無感や不安感も増していく。生きることへの不安、失うことへの恐れ、人に対する不信感・・・それらが蔓延した社会の中で、自我や執着を手放し、自己を開放させた中に幸福があると感じる人が増えてきている。所有を手放し人々と分かち合う、自分のためではなく誰かのために行動する、その先にある心の温かさは幸せをもたらしてくれる。そのような自我の開放・自己の浄化を短期間で確実に行う方法として、瞑想の必要性が高まっていくと思う。

(2)AI社会における人間活動の変化

AIなどのテクノロジーの進化により、単純作業に費やしていた時間が減少し、時間とゆとりが生まれる。そのとき、その時間を幸福で満たすか、不安で満たすか、それによって人生は大きく変わってくる。幸せは日常の中にある。「今」というプロセスを噛み締めながら毎日を楽しめば、心は幸せで満たされる。瞑想により常に平静で温かい心でいることは、ものごとの捉え方をプラスに変え、更に幸せをもたらしてくれる。

(3)自分と他人、男と女、人間と自然・・・様々なものの境界が曖昧になり、全体性への融合が始まる

「私は私であって、私ではない。」「全てのものは素粒子のエネルギーの集合体であり、私も、道端に落ちている小石も全ては同じである。」そう気付いたとき、全てのものの境界は曖昧となり、個は全体へと同化していく。そして、この気づきによる意識や感覚の変化は、人々の心が研ぎ澄まされるにつれて加速していくと思う。日常生活の中で鈍化していきやすいこの感覚を呼び覚ます時間として、瞑想の時間は欠かせないものになっていく。

感じるがままに

今感じているのは”自立”という感情。ヴィパッサナー瞑想を進めるにつれ、”私”というエネルギーの集合体を強く感じた。地に足を付け、上から下からエネルギーを循環させながら、平静に、そして強く生きているんだという想い。
天から授かったこの命、この身体。そしてそこに生まれてくる心。それは誰のものでもないし、ここに存在するかすら分からないものだけど、今、この瞬間に私の中で生まれたものは確かなエネルギーとなって拡散していく。全てのエネルギーは循環している。
毎日の食事でいただく食べ物、身体に取り込む空気、太陽の光・・・それらのエネルギーを身体に溜め込んで、そして外へと放出していく。いただいたエネルギーをドロドロとした負のエネルギーに変えるのではなく、安らかで愛に満ちたエネルギーに変えていくことができたら、世界はもっと平和になっていく。わたしたち一人一人がエネルギーの流れを感じながら、全ての関わりに”ありがとう”の気持ちでいられたら、なんて幸せなんだろうと思った。

人生の中で、人は脱皮(自立)を繰り返しながら生きている。
私の場合、最初の大きな自立は金銭的自立。自分で生きるための糧を自分で得る。家庭という守られた枠組みから、社会という大海原に出ていくことの中には、「自分の力で、この社会を変えていくんだ」というワクワク感と同時に、今まで感じたことがなかったドロドロとした混沌としたエネルギーに巻き込まれている苦しみもあった。
そして次の大きは自立は、家を出たときに生じた価値観の自立。自分自身の人生を、パートナーと共有し合い、共に生きていく。時には相手の価値観を受け入れ合い、お互いを補い合いながら。
そして今感じた3つ目の自立は心の自立。私があの人を守りたい、私のことを守って欲しいという家族関係への想い、誰かに認められたいという想い。それらを解放した先にあったのは、誰にも依存しない、私自身の心の平静さや強さ。帰る場所は自分の中にある、そう感じたときに全てが愛おしく思えた。なんだか心が軽やかになってやさしい気持ちで満たされていた。取り巻く全てのものが幸せであって欲しい、そんな願いが湧き出てきた。

誰とも関わりを持たず、ただただ自分自身と向き合う10日間。1日10時間、合計100時間の瞑想が私に与えてくれたものは、本当に素晴しいものだったとあらためて思う。この体験を与えてくれた全てに感謝の心でいっぱいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です